本山 錦織寺
錦織寺を支援するボランテアのサイトで正式公認の許可をいただいたものでは、ございません
錦職寺のHPではございません 第3者の記載です    親鸞聖人 御足跡の本山
錦 織 寺
B-135-01                            錦織寺上空撮影平成22年5月8日 
平成21.8.10

       本山錦織寺は天正元年には門跡寺院となり
菊紋の使用が許可されました

親鸞聖人七百五十回御遠忌法要 ご滞在1235年(鎌倉時代)
平成二十三年十一月二十八日は親鸞聖人の七百五十回忌にあたります。木辺派ではお引き上げをして、このご法要を、平成二十二年十一月にお勤めすることになりました。記念すべきこのご法要では、親鸞聖人のお徳をたたえ、真宗のみ教えが正しく深く広く大きく伝わり、静かに、心豊かに お念仏の道を歩みたいものであります。
親鸞聖人七百五十回御遠忌御消息
平成二十三年十一月二十八日は親鸞聖人の七百五十回忌にあたります。錦織寺ではお引き上げをして、このご法要を、平成二十二年十一月にお勤めすることになりました。
記念すべきこのご法要では、親鸞聖人のお徳をたたえ、真宗のみ教えが正しく深く広く大きく伝わり、混迷の無明長夜の灯炬となるべく、高く掲げてまいりたいものであります。

 親鸞聖人は比叡山で、永年ご勉学とご修業に勤められましたが、出離の思いは満たされず、苦しまれて諸方の霊窟に詣でられました。その中で、聖徳太子のお告げによって、源空聖人にお会いになり、阿弥陀如来の本願に抱かれていることを喜ぶお念仏をする身となられました。それ以来、法難によって流罪になった越後に、放免の後には関東にあって、おみのりの伝道にご尽力なさいました。晩年に京洛の地に戻られる途次、政情不安な都を前にして、木部の地にて『教行信証』のご淨書をなさりながら、しばらくご法義の広宣にお努めになりました。そのご縁が錦織寺となって、親鸞聖人を御開山として尊敬して参りました。親鸞聖人はその後九十歳にてこの世の縁の尽きるまで、著述を重ねられ、そのみ教えは今日まで多くの方々に、仏縁を結ぶ働きとなり、喜ばれてまいりました。

仏教は、四諦八正道にまとめられるように、人間の迷いからの目覚めを促すものであります。それは今日においても人間の個々のあり方として、その輝きを失わない優れた教えであります。そしてさらに個々の人間の自覚は、他者に慈しみの目を向けるべきことに気づいていき、大乗仏教として今日まで広まってきております。

 人の貪欲、瞋恚、愚痴に取り巻かれ執着している状態は、止まるところをしらず、今日では人間中心の思考がいっそう強まり、あらゆる方面において過剰な利潤と利権の追求がなされ、そこでは様々な生き物の命のつながりが絶たれ、地球の存続さえ危ぶまれる時代となりました。また科学技術の進歩は高度情報通信社会を生み出し、人々の結びつきをばらばらにして、孤独化を進行させています。それらは経典が五濁悪世と述べている姿でありましょう。

 親鸞聖人によって開顕された浄土の真実のみ教えは、あらゆる人びとが阿弥陀如来の本願のお力でお浄土に生まれて、人の持つ迷いを離れて仏となり、この世に還っては迷える衆生をお浄土に導くために働くということであります。そして南無阿弥陀仏のお名号にこめられた、あらゆるものを救っていきたいという、阿弥陀如来の悲願を聞き尋ねていくことは、そのような願いを持った阿弥陀如来のお徳をたたえ、感謝と報恩の思いをもってお念仏することであります。
それは同時に多くの命の中で存在する自らの生き方への目覚めであり、阿弥陀如来の智慧と慈悲に照らされて生きていくあり方であります。

 七百五十回忌を迎えるに当たり、このお念仏の道を多くの方々と共に、静かに、心豊に歩みたいものであります。
 宗門においては、親鸞聖人をお慕いして聴聞に努められ、愛山護法の思いを綴ってきた伝統を、未来へ伝えていく手立てを共に考えつつ、
お念仏の相続に励んでいただきたいと念願いたします。。
平成十七年十一月二十一日    錦織寺 門主 釈 円慈

錦織寺の正式名称


定価 1.800円 (税別) 
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 お経の練習に 先祖の供養に毎日お経を 仏壇の前で毎日お経を唱えてください 練習もできます
錦職寺のHPではございません 第3者の記載です
ご注意 物販購入は一部表示価格改定により異なりますそのつど社務所にてご確認ください
(価格表示については責任を問うものではございませんのでご了承ください)

A 版 真宗木辺派声明  
¥1710税別
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後払い振り込みになります

B版 A 版 真宗木辺派声明 
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錦織寺音頭 番組放送 ご覧ください
平成12年3月、5月 阿弥陀堂修復完成法要 
平成12年5月19日、20日、21日、5月 錦織寺阿弥陀堂修復落慶法要 番組放送 ご覧ください
平成12年3月10日 御邊座法要記録 番組放送 ご覧ください
名刹の旅 近江をゆく 近江富士を望む寺番組放送 ご覧ください
親鸞聖人七百五十回御遠忌法要  建設工事 改築工事の現状 写真にて ご報告 ご覧ください 平成21年8月8日現在  錦織寺事業風景写真写真
正門 中門 茶屋殿、東山天皇拝領御殿 小書院、新御殿、講堂、西議室、写真にて
  参拝記念の宝物 写真にて          真宗木辺派 錦織寺 購買など
親鸞聖人七百五十回御遠忌法要 参拝記念 
錦織寺風景写真写真        
通信教育にて入門詳細について
   真宗木辺派 錦織寺 上空撮影 映像でご覧ください
錦織寺上空撮影平成21年8月8日
 当派は、親鸞聖人のご足跡を残す唯一の御本山です。当派の御門主 木邊円慈上人は第二十二代の法燈を平成八年(1996~)年に継承され、今日に至っております。 
前御門主 宣慈上人(1969~1990)は、法務の傍ら天体望遠鏡の反射鏡を作る余技を持たれ、天文学会においても「木辺レンズ」として高く評価されました。
 先々代(第二十代)御門主孝慈上人(1896~1969)は西本願寺 明如上人の次男で明治二十九年に錦織寺に御入山され、戦争前後の激震時代に大日本仏教会の代表として宗教法の成立にまた、自派の宗勢拡大に多大の功績を残され、大興上人と御呼び致しております。
 主たるお堂としては元禄十四(1701)年に再建された県指定文化財の御影堂、天保2(1831)年再建の阿弥陀堂、聖人が御逗留され、文久元(1861)年に再建された天安堂(毘沙門堂)、東山天皇より拝領の「御常の御殿」等々、元禄七(1694)年の火災で全焼後逐次諸堂が再建され今日に至っております。
真宗木辺派声明 本山 錦織寺 真引正信念佛偈・和讃・回向・真引正信念佛偈 (文類)・小経伽陀・観音小経

タイム 5:38

タイム 5:09

タイム 3:39

タイム 1:13

タイム 3:26

タイム 3:30
真引正信念佛偈
帰命無量寿如来
真引正信念佛偈
釈迦如来楞伽山
真引正信念佛偈
善導独明佛正意
和讃念佛 和讃 
三朝浄土の大師等
和讃 
他力の信心うるひとは

タイム 2:00

タイム 1:05

タイム 5:22

タイム 4:44

タイム 3:44

タイム 4.20
和讃 
如来大悲の恩徳は
回向
我説彼尊功徳事
真引正信念佛偈
(文類) 
西方不可思議尊
真引正信念佛偈
(文類) 
釈迦如来楞伽山
真引正信念佛偈
(文類) 
善導独明佛正意
小経伽陀 
万行之中為急要

タイム 17:40
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観音小経

―御影堂―
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―御影堂― 音声ガイド案内 
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親鸞聖人の御影を奉安し、お堂は県建造物文化財として指定されております。
 親鸞聖人が当山にご滞在中に「顕浄土真実教行証文類」全六巻の内最後の二巻、 真仏土・化身土之巻を作成され、その歓びを門侶の請いにより真正面向きに描かれました。
当山では、「ご満足の御影」とも称しております。
 建物は、元禄十四(1701)年再建されました。当時は、永禄十二(1569)年以来の二宗 (浄土真宗・浄土宗)兼学の状態でした。
それを錦織寺中興と呼ばせていただいている良慈 上人が兼学を止め、享保六(1721)年浄土真宗に復帰しましたが、その二宗兼学当時の建築様式が残されていることにより県文化財に指定されています。 
 明治十九(1876)年頃派名を錦織寺派から木辺派と称することとなりました。明治十四 (1881)年、天皇は親鸞上人に「見真」大師号を追贈され勅額を授与されております。 お堂は昭和58年に修理をいたしました。
―阿弥陀堂―
音声が聞こえます
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―阿弥陀堂―音声ガイド案内 
(再生にはフラッシュプレーヤーVer.7 以上が必要です。
阿弥陀堂は天保二年(1831)に再建され、ご本尊は親鸞聖人常陸国御滞在の砌り、霞ヶ浦 にて感得せられた一尺八寸の阿弥陀如来像の座像(端座)の御木像です。
 奇瑞霊験著しいご尊像であったが、元禄七年(1694)年に宝蔵より発火して一山灰燼 となり、この霊像も火災に没し痛々しいお姿を拝します。
 お堂正面の欄間中央には天女の機織りの姿がございます。聖人御滞在中の七月六日の夜、空には楽と霊光が輝き、かぐわしき香が満ち溢れ、二人の童子が蓮の糸を繰り、天女が機を織っていました。内陣には、横三尺・縦一丈五尺の紫香の錦が仏前に供えられていました。その織物を朝廷に献上した際、時の四条天皇から「天神護法錦織之寺」の勅額を頂きました。これが、錦織寺の寺号の由来です。お堂は平成12年大修理を行いました。
 
―天安堂―


天安2年(858年)平安時代
、比叡山三代目座主.慈覚大師はここにお堂を木辺に建てる

木辺の伝説が始まる 
音声が聞こえます
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―天安堂―音声ガイド案内 
(再生にはフラッシュプレーヤーVer.7 以上が必要です。
天安堂に安置されている毘沙門天王は、伝教大師最澄が比叡山を開かれる際に、東塔北谷にあった霊木を以て作られたもので、鞍馬寺の毘沙門天王と同木同作の霊像であると伝えられております。
 その後、比叡山三代目座主、
慈覚大師 円仁の時代、慈覚大師は、夢中にて「江州野洲の郡に一夜に松が生えているところがある。そこへ私を移して欲しい」という毘沙門天王のお告げを受けました。そこで、弟子に命じて探させたところ、この地に一夜にその高さ八尺あまりの松が生えたことを知り、天安2年(858年)、慈覚大師はここにお堂を建てて、毘沙門天像をお移しになられました。このお堂は、天安年間に建立されたので天安堂と称しております。
また、この松とお堂の周辺に人々が住み木辺村と称し、現在は木部と書いております。

錦織寺年表 
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音声ガイド案内  自動システムです錦織寺の正面横の入り口です
名前などの記載は無料
本体機器¥25万

10年間掲載(1回寄進のみ)

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―天安堂―音声ガイド案内 
(再生にはフラッシュプレーヤーVer.7 以上が必要です。

御参拝記念タイル寄進.錦織寺のマスコット人形
錦織寺錦織寺代二十二代 木邊圓慈御釈筆,額縁 木部の旧民家に保存されていた歴代掛け軸、額
錦織寺 寄進の案内 

亀遊万歳池
詳細は
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    親鸞聖人が笈を掛けたと伝えられる笈掛けの松
画像
                     親鸞聖人廟

親鸞聖人が笈を掛けたと伝えられる笈掛けの松

江戸時代作庭

西暦1809年(江戸時代)


十六代 宅慈上人 書
亀遊ぶ萬歳の池
亀遊万歳池


お茶室が完成

如来像 3世紀ぶりに美顔に

仏教(錦織寺)Kinshokuji

以下の写真は『親鸞聖人御足跡の本山 錦織寺』より(転載の場合は錦織寺に許可を得て下さい)

毘沙門天が夢中に出現、木部滞在を乞う


田植歌で念仏を教える親鸞聖人、左端には松の枝に掛けた笈が見える

洛中洛外屏風

御正忌、報恩講華講の立華

中橋狩野永叔の作


親鸞聖人の画

元禄8年(1695)当山に納められた涅槃図
画工 狩野氏 白極
(拡大サイズ)

御正忌、報恩講の際掲げられる錦織寺伝絵

親鸞聖人の画


満足の御影 写し 須弥壇 親鸞聖人の満足の
御影を奉安する

熊野曼荼羅図(室町期のもの)
下 文政11年(1828)に奉納された天女錦織図ししゅうの大打敷

親鸞聖人の絵

杉戸の絵 画家は狩野柳雪

      御影堂
天皇
明治14年に見真の勅額を拝領


柱をまたいて飾られている欄間の滝

(東山天皇拝領の間)

(東山天皇拝領の間)

歴代裏方が持参された雛人形
浄土真宗は、法然上人の弟子である親鸞聖人(1173-1262)を宗祖とする宗です
現在、この流れを汲む主な派としては、
・浄土真宗本願寺派(本山、西本願寺)
・真宗大谷派(本山、東本願寺)
・真宗高田派(本山、専修寺)
・真宗佛光寺派(本山、佛光寺)
・真宗興正派(本山、興正寺)
・真宗木辺派(本山、錦織寺)
・真宗出雲路派(本山、毫摂寺)
・真宗誠照寺派(本山、誠照寺)
・真宗三門徒派(本山、専照寺)
・真宗山元派(本山、證誠派)
の10派があります。
錦織寺絵葉書
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親鸞聖人の去ったあとの錦織寺は、性信、願性、善明、愚咄、慈空と横曽根門徒の系列のかたがたによってお守りされていました。
そこへ親鸞聖人の玄孫存覚上人はたびたび来寺して本尊の裏書きなど本山としての活動をされ、子の綱厳を慈観と改め、住職に据えました。そこで錦織寺は、親鸞聖人を開山として如信、覚如、存覚と血脈と法脈一致を図りました。
慈観上人は存覚上人の「六要鈔」を書き残しています。これは「教行信証」の重要な注釈書です。その孫の慈賢上人は「現世利益和讃抄」という注釈書を残しています。
天正元年には門跡寺院となり
菊紋の使用が許可されました
錦織寺 歴史
天安2年(858年)天台宗
、比叡山三代目座主.慈覚大師はここにお堂を木辺に建てる

木辺の伝説が始まる 平安時代

宗祖 親鸞聖人 西暦1235年(鎌倉時代)   浄土真宗となる

 
親鸞の曾孫
西暦1262年(鎌倉時代)


西暦1300年(鎌倉時代)

西暦1349年(南北朝時代)

西暦1351年(南北朝時代)

西暦1419年(室町時代)

西暦1429年(室町時代)

西暦1453年(室町時代)

西暦1463年(室町時代)

西暦1494年(室町時代)

西暦1569年(室町時代)
天正元年には門跡寺院となり
菊紋の使用が許可されました

西暦1622年(江戸時代)

西暦1654年(江戸時代)

西暦1726年(江戸時代)

西暦1789年(江戸時代)

西暦1809年(江戸時代)

西暦1844年(江戸時代)

西暦1846年(江戸時代)

西暦1885年(明治時代)

西暦1896年(明治時代)

西暦1969年(昭和時代)
明治以降の宗勢
明治二十九年西本願寺明如上人の次男が十五才で入寺して孝慈と名乗りました。
孝慈上人は大正から昭和の初期に大活躍をされて、九州各地、広島、北海道などにご縁を慕って多くの寺院が誕生し、今日の真宗木辺派の宗勢を形成しています
二十代 大興孝慈上人
木辺孝慈
(こうじ)
1881~1969/真宗木辺派錦織寺(きんしょくじ/滋賀県野洲市)第20代門主/
旧姓名・
大谷尊行/西本願寺21世法主大谷光尊次男/男爵/
西本願寺筆頭連枝であったが、明治27年木辺淳慈の養子となり、
木辺派を継いで孝慈と改名。28年門主(真宗木辺派管長)となった。29年男爵。
生来の学問好きであり、多くの仏教学者について、仏教教義を学んだ。
大正2年、広島へ巡教、11年には真宗開宗七百年記念伝道に出るなど
地方巡教の旅を続けた。また、荒廃した錦織寺再興のため維持会財団を組織、殿堂を修復した。
著書に「宗祖の自行」「教行信証の大意」「御親教集」などがある。
浄土真宗本願寺派第21世宗主大谷光尊(こうそん)浄土真宗本願寺派本願寺第22世宗主 大谷光瑞(こうずい)長男 
真宗木辺派錦織寺(きんしょくじ/滋賀県野洲市)第20代門主木辺孝慈(こうじ)次男 大谷光尊次女九条武子
大谷光瑞の肖像 その1
西本願寺21代 光尊 西本願寺22代 光瑞 歌人九条武子の兄。


真宗誠照寺派、真宗木辺派

西本願寺21代大谷光尊の次男は真宗十派の一つ、
真宗木辺派錦織寺(きんしょくじ)
二十代門主・木辺孝慈である。

木辺孝慈(こうじ)は、西本願寺21世大谷光尊の次男(大谷光瑞の弟)であったが、木辺家に養子に入り、
真宗木辺派を継ぎ、明治29年に男爵。

すなわち、お東さんとお西さんの繋がりをここに見る事ができる。

また、他にも、九條家を通しての繋がり等もある。
二十一代 宣慈上人 西暦1990年
木辺成磨(きべしげまろ)西本願寺二十一代門主大谷光瑞上人の甥
木辺宣慈
(せんじ)
1912~1990/真宗木辺派錦織寺第21代門主、特殊光学研究所所長/本名・木辺成麿/
子供の頃から天文学に興味を持ち、住職修行の傍ら、戦争中、陸軍航空技術研究所の嘱託となり、日本でも数少ない天体望遠鏡の反射鏡磨きの専門家に。
世界でも五指に入る名人となり、“レンズ和尚”の異名で知られ、特殊光学研究所所長もつとめた。
昭和44年門主を継ぐ。昭和45年、吉川英治文化賞(第4回)受賞。
長男・木辺円慈が第22代を継ぎ、現門主をつとめる。
錦織寺代二十二代 木邊圓慈

錦織寺御歴代

平成元年の資料に基づく。
  • 宗祖 親鸞聖人
  • 第二代 如信上人 - 親鸞の曾孫。
  • 第三代 覚如上人 - 親鸞の玄孫(やしゃご)、本願寺三世覚如。
  • 第四代 存覚上人 - 親鸞の来孫(きしゃご)、覚如の長男。
  • 第五代 法林院殿慈観上人 - 存覚の四男「綱嚴」、慈空の養嗣となり、名を「慈観」と改める。
  • 第六代 功徳院殿慈達上人
  • 第七代 安楽院殿慈賢上人
  • 第八代 平等心院宮慈光上人
  • 第九代 楽寿院殿慈範上人
  • 第十代 究竟院殿慈澄上人
  • 第十一代 正覚院殿慈養上人
  • 第十二代 頓乗院殿慈教上人
  • 第十三代 速得院殿慈統上人
  • 中祖第十四代 不可説院殿良慈上人
  • 第十五代 功徳清浄光院殿常慈上人
  • 第十六代 無量寿院殿宅慈上人
  • 第十七代 成正覚院殿歓慈上人
  • 第十八代 不可思議院殿賢慈上人
  • 第十九代 如是相院殿淳慈上人
  • 第二十代 住最勝院殿孝慈上人 - 浄土真宗本願寺派第二十二世鏡如の弟。
  • 第二十一代 宣慈上人 - 「レンズ和尚」の別名を持つ、天体望遠鏡の反射鏡製作の名人。
  • 第二十二代 円慈上人
[錦織寺]
錦織寺(滋賀)末寺250
錦織寺の名は暦仁元年(1238)天女が錦を織る瑞夢を四条天皇に奏上し、天皇から「天神護法錦織之寺」という勅額を受けた事によると言う。本願寺三世覚如の長男存覚(1290~1373)の自伝『存覚一期記』に慈空を「本部開山大徳」としていることからみると、開創は南北朝の頃と考えられる。慈空は下総豊田庄(茨城県水海道市豊岡町付近)に起こった横曽根門徒の流れを汲む人で、のち存覚の子綱厳(1334~1419)が慈空の養嗣となって錦織寺を継いだ。真宗十派の中では高田門徒の系統が多いが、木辺派は唯一、横曽根門徒の系統に属する。 そののち、蓮如によって本願寺教団が発展するに際し、錦織寺七世慈賢の子勝慧(1475~1559)蓮如に帰依するなど、門徒の多くが本願寺に吸収された。
浄土真宗木辺派の本山 寺院霊園  墓地空白あり 1区画 面積(㎡)5尺角 総額¥77万
お申込み 墓地現地ご案内 077-589-2354  080-6161-6087 mail メール   真宗派なら申込み可能です  

新墓地  1区画総額 
¥77万

寺院霊園
浄土真宗木辺派の本山

名前の由来は親鸞聖人が寺を再興した時、天女が下り蓮の糸で錦を織って献上したことから「錦織寺」と名づけられました。
JR野洲駅の北約3.4kmにあります。

   
宗旨宗派 真宗に限る(他派でも可)
経営主体 宗教法人 錦織寺
「浄土真宗木辺派の本山」
所在地 滋賀県野洲市木部826
面積  5尺角
アクセス

JR琵琶湖線 「野洲駅」より近江バスにて「木部」下車、徒歩約2分

「栗東I.C」・「竜王I.C」より約25分

「びわこ大橋」より約20分


種類
面積(㎡)
(敷地購入)
3年間管理料(更新)
一般
5尺角
¥600,000
¥10000
墓地利用茗荷金(3年ごとに)¥1万  墓苑維持会協力金¥10万 1回のみ 入山茗荷金¥6万
         
支払い合計¥77万
※上記の面積・区画以外にも様々な広さをご用意しております。
墓施工ご案内   現地での格安な墓石施工   展示品 見本  親鸞聖人御遠忌御消息   霊園墓地

墓 見本現地にあります  石材施工一式 中国石¥50万程度(施工込み)
                            日本石 ¥80万程度(施工込み)
法名 年月日 文字掘り加工込み  施工30日
         墓 見本現地にあります  石材施工一式 中国石¥50万程度(施工込み)      日本石 ¥80万程度(施工込み)
                    法名 年月日 文字掘り加工込み   施工30日
   
墓石込み料金の一般的な例
『墓地使用料、石碑工事費、外柵工事費』
面積(㎡)
墓石及び墓石工事費 
合計(税込) 

寿陵
生前に建てるお墓を「寿陵」、あるいは「寿墓」、「逆修墓」ともいいます。
最近はこうした生前墓を用意する人たちが増えています。

寿陵墓のおすすめ
自分の家庭に仏様はなくても、誰にでも先祖があります。
その先祖のお墓の土を少し持ってきて寿陵墓に祀り、お墓参りをすることによって、先祖供養が出来ます。

紫香殿の納骨堂 少し空があります 前列100万 配列縦50万ご案内        077-589-2354  080-6161-6087 mail メール 
           紫香殿納骨壇 2階 見取図  拡大   空 位置の確認ができます
             ご参拝の方への 親族、親戚の方のお参りのご案内
永代供養墓 納骨堂
 前列左右¥100万

空きなし両側正面.と正面に向かって右側すべて

空き正面に向かって左側から配列縦列
¥50万
 残り
 
紫香殿 納骨料  一体につき2万以上(納骨容器代含)永代供養¥10万
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                     親鸞聖人廟
            真宗派のみ 納骨料  一体につき2万以上(納骨容器代含)永代供養¥10万
        真宗派以外の方は メール   お問い合わせください
 
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